2006年 03月 20日
「明日の記憶」荻原浩(光文社)
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「恐いなあ…」
先に読んでいた長男がしきりに口にしていたこの言葉。
今までにもまして、魚もブロッコリーも積極的に摂ろうと心に決めたようだ。
息子をそこまで思わせたこの「明日の記憶」とは...
50代にさしかかった広告マン佐伯を突然襲った若年性アルツハイマ*症。
物忘れがひどくなった。年のせいか…。誰もが感じる老いの感じ。ただそれだけのことだったらいいが、彼への診断はアルツハイマ‐。物を忘れることのほか、味覚が分からなくなったり、感情の抑制が出来なくなったり、一番身近な人の顔さえ判別つかなくなる。
佐伯は、診断後も仕事を続けるが、忘れないようにと取引先の担当者の名前・容姿をメモし、会話内容も詳細に記録する。しかし、メモも日記も、誤字が増え、ひらがなだらけになっていく。そして、どんどん進行する病に勝てず職場を離れることになる。
夫の病気の進行を食い止めようと食事に配慮する妻や、結婚を控えた娘。家族の思いを心の支えに生きるのだった…。
本当にこれは読んでいて自分のその後が恐くなる話だった。
「もしも…」と思うと恐くてしょうがない。
もしもそうなってしまっても、この佐伯のように支えてくれる家族がいるということは幸せなことだ。
それでも、「もしもこんな自分がいなければ…」と考えてしまうのも避けられないだろう。
世の中にはいろんな病気があり、それを受け止め、乗り越えていこうとしている人が何万といる。病気の大小にかかわらず、その人自身の辛さを他人にはどうこう言えるものではない。患者の家族といえども、その辛さを代わってやることが出来ないし、ただ支えることしか出来ない。
その両方の思いが切なくてしょうがない。
佐伯が献身的な妻にさえ「介護される人間と介護する人間の微妙な力関係がそうさせている」というような思いを抱いたりしているところにも、それぞれの立場の難しさが感じられる。
読み終えた途端、じわりと涙が出てしまった。
介護する側からは一番悲しいことかもしれない…。
ラストで、佐伯は介護‐施設を訪問したあと多摩のほうへ向かうのだが、あの窯場での老人との出会いは現実のものじゃないのかなという思いがよぎる。もしかしたら、病状が進んだための幻覚ではなかったのか。窯場は存在するが老人はいなかった。そう読むのは悲しすぎるだろうか。
その霧がかかったような窯場から山を下りて出会う、これまた幻覚のような女性。確かに女性の姿は幻覚ではなくそこにいるのだが、彼の頭の中の霧は晴れてくれない。しかし、今穏やかでいられる佐伯が、その見知らぬ女性から優しいものを感じられたのは、ある意味救いだったかもしれない。彼女にとっては胸が張り裂けそうになるほどだったかもしれないが…。
先に読んでいた長男がしきりに口にしていたこの言葉。
今までにもまして、魚もブロッコリーも積極的に摂ろうと心に決めたようだ。
息子をそこまで思わせたこの「明日の記憶」とは...
50代にさしかかった広告マン佐伯を突然襲った若年性アルツハイマ*症。
物忘れがひどくなった。年のせいか…。誰もが感じる老いの感じ。ただそれだけのことだったらいいが、彼への診断はアルツハイマ‐。物を忘れることのほか、味覚が分からなくなったり、感情の抑制が出来なくなったり、一番身近な人の顔さえ判別つかなくなる。
佐伯は、診断後も仕事を続けるが、忘れないようにと取引先の担当者の名前・容姿をメモし、会話内容も詳細に記録する。しかし、メモも日記も、誤字が増え、ひらがなだらけになっていく。そして、どんどん進行する病に勝てず職場を離れることになる。
夫の病気の進行を食い止めようと食事に配慮する妻や、結婚を控えた娘。家族の思いを心の支えに生きるのだった…。
本当にこれは読んでいて自分のその後が恐くなる話だった。
「もしも…」と思うと恐くてしょうがない。
もしもそうなってしまっても、この佐伯のように支えてくれる家族がいるということは幸せなことだ。
それでも、「もしもこんな自分がいなければ…」と考えてしまうのも避けられないだろう。
世の中にはいろんな病気があり、それを受け止め、乗り越えていこうとしている人が何万といる。病気の大小にかかわらず、その人自身の辛さを他人にはどうこう言えるものではない。患者の家族といえども、その辛さを代わってやることが出来ないし、ただ支えることしか出来ない。
その両方の思いが切なくてしょうがない。
佐伯が献身的な妻にさえ「介護される人間と介護する人間の微妙な力関係がそうさせている」というような思いを抱いたりしているところにも、それぞれの立場の難しさが感じられる。
読み終えた途端、じわりと涙が出てしまった。
介護する側からは一番悲しいことかもしれない…。
ラストで、佐伯は介護‐施設を訪問したあと多摩のほうへ向かうのだが、あの窯場での老人との出会いは現実のものじゃないのかなという思いがよぎる。もしかしたら、病状が進んだための幻覚ではなかったのか。窯場は存在するが老人はいなかった。そう読むのは悲しすぎるだろうか。
その霧がかかったような窯場から山を下りて出会う、これまた幻覚のような女性。確かに女性の姿は幻覚ではなくそこにいるのだが、彼の頭の中の霧は晴れてくれない。しかし、今穏やかでいられる佐伯が、その見知らぬ女性から優しいものを感じられたのは、ある意味救いだったかもしれない。彼女にとっては胸が張り裂けそうになるほどだったかもしれないが…。
by mam-san
| 2006-03-20 09:17
| (あ行の作家・他)