2008年 12月 22日
「青い鳥」重松清(新潮社)
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村内先生は中学の非常勤講師。
国語の先生なのに吃音でうまく喋れない。
でも先生はたいせつなことしか言わない。
いじめや親からの虐待や、さまざまな問題を抱え、自分の居場所を見失っている生徒たちに、先生は本気の言葉をかけ、その病んだ心を変えてくれる。
「間に合ってよかった」と先生は言って、そして学校を去っていく。
村内先生が「必殺助っ人先生」のごとく回った学校でのお話七つと、先生に救われた生徒のその後のお話一つです。
どれも本当に温かく、本気で、たいせつな話ばかりです。
先生はあまり多くを語りません。
つっかえつっかえひとつひとつたいせつに話します。
だからその言葉の重みがこたえます。
最初は「何、この先生。こんなでよく教師が務まるよ」と思っていた生徒も、先生の本気の言葉を本気の心で受け止めるようになります。
この先生が全国を回ってくれたら、どれだけ多くの子どもたちが救われることか・・・。
ちょうど先日、映画版を観てきたところです。
村内先生は阿部寛さんです。原作の先生はもっとオジサンで髪の毛もちょっと薄くもっちゃりしているようなんですが、全く違和感なく読めました。これが順序が逆だったら自分のイメージが先行してしまうかな~。
映画はこの中の「青い鳥」の話だけだったので、原作より映画のほうが深いなあという感じですね。
ところで、映画では先生が読んでいた本は「石川啄木」ですが、原作では「草野心平」ですね。
どうしてでしょう?
備忘録として:
嘘をつくのは、その子がひとりぼっちになりたくないからですよ。嘘をつかないとひとりぼっちになっちゃう子が、嘘をつくんです。
「嘘」は悪いことじゃなくて、寂しいことなんですよ。
もしも嘘をついたんだったら、それは寂しいことだから、そばにいてやらなきゃ、教師は、なにがあっても、どんなときも、どんな生徒でも、その子をひとりぼっちにしちゃいけないんですよ・・・。
おまえの手のひらは、もう嫌いななにかを握りつぶすためのものじゃないんだ。たいせつななにかをしっかりとつかんで、それから、たいせつななにかを優しく包んでやるための手のひらなんだよ。
・・・
そばにいる――わかった。「そば」とは手をつなぐことができる近さのことなんだ。声の温もりが伝わる近さのことだ。
人間はおとなになる前に、下の名前でたくさん呼ばれなきゃいけないんだ。下の名前で呼んでくれるひとがそばにいなきゃいけないんだ。 「カッコウの卵」より
by mam-san
| 2008-12-22 21:55
| 重松清