2009年 02月 25日
「虚夢」薬丸岳(講談社)
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白い雪に覆われた穏やかな公園。遊びまわる子供たち、小さな子供を連れた母親たち、散歩にきた老夫婦。
その平和な公園が突然惨劇に襲われた。
公園のあちこちで悲鳴があがり、真っ白い雪が赤い血で染まる。
犯人は、心神喪失の青年。
多くの犠牲者を出したにもかかわらず、逮捕後の精神鑑定で総合失調症と診断され入院。「刑法39条」により罪には問われなかった。
三上はその事件で娘を失った。
事件後彼は酒に逃げ、妻・佐和子は心を病み家を出て行った。
ある日、再婚したはずの佐和子から電話がかかってくる。
「犯人の藤崎を街で見かけた」と。
事件から4年しか経っていないのに、12人もの殺傷者を出した犯人が社会復帰しているとは。
佐和子の言葉を聞いた三上は、藤崎がどんな生活をしているのか確かめようとする。
ところが、佐和子の言動に異変が見られるようになって…。
薬丸さんの小説は3作目です。
少年犯罪を問うたもの、子どもへの性犯罪に関するもの、そして今回の心神喪失者の犯罪と、どれも深く考えさせられるものばかりです。
ここ数年、ニュースを見ていると、「何と理不尽な」と思える通り魔事件が多いような気がします。
「誰でもよかった」と言い、人の命を簡単に奪ってしまう犯罪。
そういう事件の続報に、ほとんど「精神鑑定」という言葉が出てきます。
似たような無差別殺人を起こしているにもかかわらず、責任能力があったとして死刑になる人間と、心神喪失や心神耗弱を認められて不起訴や無罪となったり減刑される人間に分けられる。
この小説では三上や佐和子側から事件を見るので、いかに藤崎にその法律が適用されようが、やはり「そんな理不尽な」と思ってしまいます。
キャバ嬢ゆきといるときの藤崎は優しく繊細な青年に見えます。その状態しか見てなければ、そういう病気なんだからと同情するかもしれません。
でも奪われたほうからすればどうでしょう。どう考えても理不尽です。
一方、ゆきはどうでしょう。
再会した同級生は同情してました。
そもそも、精神鑑定って正しいんでしょうか。三上の親友である医者・松岡も言ってます。「総合失調症の場合、どんなに患者のいうことに耳を傾けても、追体験することはできない。これを了解不能っていうんだ」
事実、佐和子の場合そうでした。
これから始まる裁判員制度で、もし裁判員に選ばれたとして、法律や過去の事例を考えるよりも、やはり感情で判断してしまうのではないでしょうか。
誰に奪われようが、そして奪われた人の命の重さは同じというのに、その命の価値を判断するのは人間です。
人が人を裁けるんでしょうか。
難しいです。
さて、このお話はミステリーとしても興味深かったです。
丁寧に組み立てて仕上げていった感じです。
とても悲しいのですが、最後は少しは前向きに終われたのが救いではないでしょうか。
…されど母は強し。
その平和な公園が突然惨劇に襲われた。
公園のあちこちで悲鳴があがり、真っ白い雪が赤い血で染まる。
犯人は、心神喪失の青年。
多くの犠牲者を出したにもかかわらず、逮捕後の精神鑑定で総合失調症と診断され入院。「刑法39条」により罪には問われなかった。
三上はその事件で娘を失った。
事件後彼は酒に逃げ、妻・佐和子は心を病み家を出て行った。
ある日、再婚したはずの佐和子から電話がかかってくる。
「犯人の藤崎を街で見かけた」と。
事件から4年しか経っていないのに、12人もの殺傷者を出した犯人が社会復帰しているとは。
佐和子の言葉を聞いた三上は、藤崎がどんな生活をしているのか確かめようとする。
ところが、佐和子の言動に異変が見られるようになって…。
薬丸さんの小説は3作目です。
少年犯罪を問うたもの、子どもへの性犯罪に関するもの、そして今回の心神喪失者の犯罪と、どれも深く考えさせられるものばかりです。
ここ数年、ニュースを見ていると、「何と理不尽な」と思える通り魔事件が多いような気がします。
「誰でもよかった」と言い、人の命を簡単に奪ってしまう犯罪。
そういう事件の続報に、ほとんど「精神鑑定」という言葉が出てきます。
似たような無差別殺人を起こしているにもかかわらず、責任能力があったとして死刑になる人間と、心神喪失や心神耗弱を認められて不起訴や無罪となったり減刑される人間に分けられる。
この小説では三上や佐和子側から事件を見るので、いかに藤崎にその法律が適用されようが、やはり「そんな理不尽な」と思ってしまいます。
キャバ嬢ゆきといるときの藤崎は優しく繊細な青年に見えます。その状態しか見てなければ、そういう病気なんだからと同情するかもしれません。
でも奪われたほうからすればどうでしょう。どう考えても理不尽です。
一方、ゆきはどうでしょう。
再会した同級生は同情してました。
そもそも、精神鑑定って正しいんでしょうか。三上の親友である医者・松岡も言ってます。「総合失調症の場合、どんなに患者のいうことに耳を傾けても、追体験することはできない。これを了解不能っていうんだ」
事実、佐和子の場合そうでした。
これから始まる裁判員制度で、もし裁判員に選ばれたとして、法律や過去の事例を考えるよりも、やはり感情で判断してしまうのではないでしょうか。
誰に奪われようが、そして奪われた人の命の重さは同じというのに、その命の価値を判断するのは人間です。
人が人を裁けるんでしょうか。
難しいです。
さて、このお話はミステリーとしても興味深かったです。
丁寧に組み立てて仕上げていった感じです。
とても悲しいのですが、最後は少しは前向きに終われたのが救いではないでしょうか。
…されど母は強し。
by mam-san
| 2009-02-25 09:49
| (や行の作家・他)