2005年 09月 26日
メゾン・ド・ヒミコ(2005年日本)
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塗装会社の事務員、沙織(柴崎コウ)のもとに若い男が尋ねてきた。彼は春彦(オダギリジョー)、妻子を捨てたゲイの父親、卑弥呼(田中泯)の恋人。
卑弥呼は癌でもうすぐ死ぬ。彼が営むゲイのための老人ホームでバイトしないかと誘う。報酬は弾むと。
父親の存在を否定して育ってきた沙織は拒絶するが、亡くなった母親の治療費で多額の借金があるため、しかたなくホームに向かう。
そこで再会した父と娘。ふたりの間に出来た溝はなかなか埋まらない。
沙織は何度もホームに通ううち、そこの住人たちと少しずつ不思議な関係を築いていく。
しかし、母のためにもこのゲイの父を許せない沙織だった。
「ゲイ物」といえば、なぜか心温まる映画が多い。
世間の常識を破る勇気と、世間から爪弾きにされることで強くなれる自分、そして他人に優しくなれる心。人と「違う」からこそ、人を理解しようとする心があるのか。映画の中のゲイたちはみな人情味あふれている。
ここの人たちもそうだ。あるときは卑屈になって我儘にもなるが、なにより仲間意識が強い。
そんな彼ら(彼女ら)と接するうち、次第に溶け込んでいく沙織の変化もおもしろかった。
でも彼女は、棘のわが道を行くゲイに置き去りにされた家族の憤りを忘れることも出来ない。
それがついついキツイ言葉となって出てしまう。
父親の心の底にある愛情を感じ取ってはいるものの、素直に全面認められない。それも他人ではない身内だからこそ表れる感情だろう。
この映画には、他人の「違った」生き方をどう受け止めるかを考えさせられるし、また、高齢化社会となってしまった今、ゲイの老人に限らず、自分にも来る老後についても考えさせられる。
ゲイに限らず、家族と離れて暮らし、ホームに入らねばならない老人たちが増えている。
彼らに死が迫ったとき、そのときをどこで迎えるべきなのか、誰が見送ってくれるのか。家族の役割とは何なのか…。
ホームの住人ルビィはそういう問題を残してくれた。
父親がオカマとは知らないまま、ルビィを引き取っていく息子夫婦。春彦たちは、これは賭けだと言う。あの息子は父親を受け入れるだろうか…。
堅いことばかり考えてしまったが、この映画は暗くはない。明るい。
涙を笑いに変えてしまえる。
それが一番出ていたのは、ホームの皆でクラブに繰り出した場面。
メンバーの一人が、元会社の人と会ってしまい馬鹿にされる。それを沙織は必死になって「謝りなさい!」と叫ぶ。あんなにゲイを嫌っていた沙織がだ。
もういい。言いたいやつには言わせておけ。
とばかりに春彦は沙織と踊る。そして皆も踊る。
「また逢う日まで」。
もう楽しくって、ノリノリで観てしまった。
この感情むき出しの柴崎コウがよかった。変にいい子ぶらないありのままの沙織がよかった。
卑弥呼役の田中泯さん、病身だから出番も少なく寝てばかりでしたが、存在感あり。台詞にも重みがあった。
あと、オダギリジョーのゲイ青年役はまるで王子様でしたね。
どこか儚げで(恋人がもうすぐ死んじゃうんですものね)、それでいて相手をまっすぐに見つめる目。
ホームに嫌がらせばかりしていた中学生が落とされたのも頷ける(笑)
それと、これは映画を未見の人は読まないほうがいいと思うので、まだの人は-----以下パスしてください。
とにかく、観て損のない映画です。
(余談:この日、私は「メゾン・ド・ヒミコ」を観て、体育祭の代休だった次男は「タッチ」を観てきた。奇しくも同じ犬童一心監督作品!)
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そんな春彦が、沙織にキスする。
沙織が近くにいるから女性に目覚めたのかと思ったけど、あれはたぶん女性男性関係なく人間として惹かれたのかもしれない。
結局、春彦は沙織を抱けなかったし…。でもそれでよかったと思う。無理して生きちゃいけない。そういう「失敗」があってこそ、ラストの微笑ましいシーンに繋がるんだと思う。
人って、恋愛だけじゃなく、もっと次元の違うところで繋がる関係もあるんだなあと。
卑弥呼は癌でもうすぐ死ぬ。彼が営むゲイのための老人ホームでバイトしないかと誘う。報酬は弾むと。
父親の存在を否定して育ってきた沙織は拒絶するが、亡くなった母親の治療費で多額の借金があるため、しかたなくホームに向かう。
そこで再会した父と娘。ふたりの間に出来た溝はなかなか埋まらない。
沙織は何度もホームに通ううち、そこの住人たちと少しずつ不思議な関係を築いていく。
しかし、母のためにもこのゲイの父を許せない沙織だった。
「ゲイ物」といえば、なぜか心温まる映画が多い。
世間の常識を破る勇気と、世間から爪弾きにされることで強くなれる自分、そして他人に優しくなれる心。人と「違う」からこそ、人を理解しようとする心があるのか。映画の中のゲイたちはみな人情味あふれている。
ここの人たちもそうだ。あるときは卑屈になって我儘にもなるが、なにより仲間意識が強い。
そんな彼ら(彼女ら)と接するうち、次第に溶け込んでいく沙織の変化もおもしろかった。
でも彼女は、棘のわが道を行くゲイに置き去りにされた家族の憤りを忘れることも出来ない。
それがついついキツイ言葉となって出てしまう。
父親の心の底にある愛情を感じ取ってはいるものの、素直に全面認められない。それも他人ではない身内だからこそ表れる感情だろう。
この映画には、他人の「違った」生き方をどう受け止めるかを考えさせられるし、また、高齢化社会となってしまった今、ゲイの老人に限らず、自分にも来る老後についても考えさせられる。
ゲイに限らず、家族と離れて暮らし、ホームに入らねばならない老人たちが増えている。
彼らに死が迫ったとき、そのときをどこで迎えるべきなのか、誰が見送ってくれるのか。家族の役割とは何なのか…。
ホームの住人ルビィはそういう問題を残してくれた。
父親がオカマとは知らないまま、ルビィを引き取っていく息子夫婦。春彦たちは、これは賭けだと言う。あの息子は父親を受け入れるだろうか…。
堅いことばかり考えてしまったが、この映画は暗くはない。明るい。
涙を笑いに変えてしまえる。
それが一番出ていたのは、ホームの皆でクラブに繰り出した場面。
メンバーの一人が、元会社の人と会ってしまい馬鹿にされる。それを沙織は必死になって「謝りなさい!」と叫ぶ。あんなにゲイを嫌っていた沙織がだ。
もういい。言いたいやつには言わせておけ。
とばかりに春彦は沙織と踊る。そして皆も踊る。
「また逢う日まで」。
もう楽しくって、ノリノリで観てしまった。
この感情むき出しの柴崎コウがよかった。変にいい子ぶらないありのままの沙織がよかった。
卑弥呼役の田中泯さん、病身だから出番も少なく寝てばかりでしたが、存在感あり。台詞にも重みがあった。
あと、オダギリジョーのゲイ青年役はまるで王子様でしたね。
どこか儚げで(恋人がもうすぐ死んじゃうんですものね)、それでいて相手をまっすぐに見つめる目。
ホームに嫌がらせばかりしていた中学生が落とされたのも頷ける(笑)
それと、これは映画を未見の人は読まないほうがいいと思うので、まだの人は-----以下パスしてください。
とにかく、観て損のない映画です。
(余談:この日、私は「メゾン・ド・ヒミコ」を観て、体育祭の代休だった次男は「タッチ」を観てきた。奇しくも同じ犬童一心監督作品!)
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そんな春彦が、沙織にキスする。
沙織が近くにいるから女性に目覚めたのかと思ったけど、あれはたぶん女性男性関係なく人間として惹かれたのかもしれない。
結局、春彦は沙織を抱けなかったし…。でもそれでよかったと思う。無理して生きちゃいけない。そういう「失敗」があってこそ、ラストの微笑ましいシーンに繋がるんだと思う。
人って、恋愛だけじゃなく、もっと次元の違うところで繋がる関係もあるんだなあと。
by mam-san
| 2005-09-26 22:57
| 映画(ま)