2006年 07月 25日
ゆれる(2006年日本)
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猛(オダギリジョー)は東京で写真家として成功を収めている。
母親が亡くなったときすら帰省しなかった猛だが、一周忌に山梨の実家に帰ることになった。
実家にはガソリンスタンドを経営する父親(伊武雅刀)と、店を実質任されている兄・稔(香川照之)がいる。
兄は実直で、真面目で、人当たりが良いが、まだ独身である。
ガソリンスタンドには兄弟の幼馴染の智恵子(真木よう子)が働いている。
かつて、猛と智恵子の間にある感情があったが、それを猛は稔に隠している。
稔も智恵子には少なからず結婚の対象として見ているふしがあるからだ。
それを知っていて智恵子と関係を持つ猛。
翌日、3人で渓谷までドライブする。
無邪気にはしゃぐ稔。昨夜のことを忘れたかのように振る舞う猛。そこで、智恵子は稔に「私も猛と一緒に東京に行きたい」と言い出す。
猛が渡っていった吊り橋を、智恵子が渡りだし、稔は彼女を追う。智恵子は手を添えた稔を振り払い「触らないで」と叫ぶ。そのとき、智恵子は渓流に落ちてしまう。
取り乱す稔。「大丈夫だよ」となだめる猛。
ところがガソリンスタンドでの些細な出来事から警察に行った稔は、自分が突き落としたと自供する。
事故か、それとも本当に稔が故意に突き落としたのか。
裁判が始まるが、拘置所の稔はこれまでと違う顔を見せ始める。「あの兄がどうして変わったのか」猛の心も揺れ始める。
やがて、真相を握る猛の証人喚問が行われ…。
兄弟で損をしているのはどっちか。
兄は、家を出て東京で自分のやりたいことをやっている弟に対し、口には出さないが嫉妬めいたものを常に持っている。35を過ぎて、父親と二人暮らし、冴えない食卓、夜に侘しく畳む洗濯物、職場では客に頭を下げることばかり。結婚に踏み出す勇気も出会いもない。
そんな兄を「真面目でいい人」と尊敬はしているが、内心でどこか見下している弟。自分のほうが社会経験豊富な自立した大人だと。だから兄が思いを寄せていそうな智恵子と関係を持つ。「兄ちゃんには出来ないだろうよ」と思う気持ちと、罪悪感が交差する。
そして今回の出来事。
兄のことを助けられるのは自分だけだという驕りもあったのではなかろうか。
それが兄の変貌、というか本音を聞いた途端、逆に打ちのめされる弟。
それでも兄を変えられるのは自分だけだと信じ続ける弟。その結果招いた記憶の錯誤。
それを兄は許したんだろうか。
最後の兄の笑いはどう取ればいいんだろうか。
だいたいにおいて、兄というのは≪我慢≫を強いられる。そして良い子でいるのが当たり前になる。弟は自由で向こう見ずで、それでいて可愛がられる。
だが、弟は、兄の手の中で、実は転がっているだけなのだ。形の上では一人前だが、兄の≪寛大さ≫には足元にも及ばない。それを兄は気づいているが弟は気づかない。
この映画のラスト、少しネタばれなので(続きを読む)をクリック。
で、オダギリジョーさん、雰囲気ありますね。
今のところ若手のNo.1ですね。サラリーマン役や医者、教師は似合わないかもしれないけど、自由人役は似合いますね(笑)
猛の叫びに「ああ、よかった。兄弟の仲は修復できた」と涙が出そうになるが、バスが稔の口だけの笑顔をかき消す。
果たして、稔は家に戻ったんだろうか。「もうお前の思い通りにはならないよ」とでも言っているようにも見える。
人の心なんて、あの吊り橋のようにいつも不安定なものなんだ…。
この映画もこれが答えだってのがなくて、≪ゆれる≫思いが残るところがまたいいんです。
ただ、ラストがラストなもんで、本編が終わったあと、場内が明るくなって諦めてやっと立ち始めたという感じでした。あの道路を挟んでのシーンで泣かせてもらえなかったという不完全燃焼もあったのかな・・・
母親が亡くなったときすら帰省しなかった猛だが、一周忌に山梨の実家に帰ることになった。
実家にはガソリンスタンドを経営する父親(伊武雅刀)と、店を実質任されている兄・稔(香川照之)がいる。
兄は実直で、真面目で、人当たりが良いが、まだ独身である。
ガソリンスタンドには兄弟の幼馴染の智恵子(真木よう子)が働いている。
かつて、猛と智恵子の間にある感情があったが、それを猛は稔に隠している。
稔も智恵子には少なからず結婚の対象として見ているふしがあるからだ。
それを知っていて智恵子と関係を持つ猛。
翌日、3人で渓谷までドライブする。
無邪気にはしゃぐ稔。昨夜のことを忘れたかのように振る舞う猛。そこで、智恵子は稔に「私も猛と一緒に東京に行きたい」と言い出す。
猛が渡っていった吊り橋を、智恵子が渡りだし、稔は彼女を追う。智恵子は手を添えた稔を振り払い「触らないで」と叫ぶ。そのとき、智恵子は渓流に落ちてしまう。
取り乱す稔。「大丈夫だよ」となだめる猛。
ところがガソリンスタンドでの些細な出来事から警察に行った稔は、自分が突き落としたと自供する。
事故か、それとも本当に稔が故意に突き落としたのか。
裁判が始まるが、拘置所の稔はこれまでと違う顔を見せ始める。「あの兄がどうして変わったのか」猛の心も揺れ始める。
やがて、真相を握る猛の証人喚問が行われ…。
兄弟で損をしているのはどっちか。
兄は、家を出て東京で自分のやりたいことをやっている弟に対し、口には出さないが嫉妬めいたものを常に持っている。35を過ぎて、父親と二人暮らし、冴えない食卓、夜に侘しく畳む洗濯物、職場では客に頭を下げることばかり。結婚に踏み出す勇気も出会いもない。
そんな兄を「真面目でいい人」と尊敬はしているが、内心でどこか見下している弟。自分のほうが社会経験豊富な自立した大人だと。だから兄が思いを寄せていそうな智恵子と関係を持つ。「兄ちゃんには出来ないだろうよ」と思う気持ちと、罪悪感が交差する。
そして今回の出来事。
兄のことを助けられるのは自分だけだという驕りもあったのではなかろうか。
それが兄の変貌、というか本音を聞いた途端、逆に打ちのめされる弟。
それでも兄を変えられるのは自分だけだと信じ続ける弟。その結果招いた記憶の錯誤。
それを兄は許したんだろうか。
最後の兄の笑いはどう取ればいいんだろうか。
だいたいにおいて、兄というのは≪我慢≫を強いられる。そして良い子でいるのが当たり前になる。弟は自由で向こう見ずで、それでいて可愛がられる。
だが、弟は、兄の手の中で、実は転がっているだけなのだ。形の上では一人前だが、兄の≪寛大さ≫には足元にも及ばない。それを兄は気づいているが弟は気づかない。
この映画のラスト、少しネタばれなので(続きを読む)をクリック。
で、オダギリジョーさん、雰囲気ありますね。
今のところ若手のNo.1ですね。サラリーマン役や医者、教師は似合わないかもしれないけど、自由人役は似合いますね(笑)
猛の叫びに「ああ、よかった。兄弟の仲は修復できた」と涙が出そうになるが、バスが稔の口だけの笑顔をかき消す。
果たして、稔は家に戻ったんだろうか。「もうお前の思い通りにはならないよ」とでも言っているようにも見える。
人の心なんて、あの吊り橋のようにいつも不安定なものなんだ…。
この映画もこれが答えだってのがなくて、≪ゆれる≫思いが残るところがまたいいんです。
ただ、ラストがラストなもんで、本編が終わったあと、場内が明るくなって諦めてやっと立ち始めたという感じでした。あの道路を挟んでのシーンで泣かせてもらえなかったという不完全燃焼もあったのかな・・・
by mam-san
| 2006-07-25 20:50
| 映画(や)